バルバロッサ作戦

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1941(昭和16)年6月22日に開始された対ソビエト侵攻作戦いわゆる「バルバロッサ作戦」でドイツ軍は戦車約3350輌、装甲師団19個に自動車化師団15個を含む152個師団を集結させた。 作戦目標は北方軍集団がレニングラード、ロシア中西部を進む中央軍集団がモスクワ、南方軍集団がキエフであった。 北方軍集団は7月9日にエストニアに到達し、9月16日にはレニングラードを包囲した。 中央軍集団は6月30日にミンスク西方でソ連軍を包囲して約42万名を戦死または捕虜とした。 そして7月17日には激戦の末、モスクワから400kmにあるスモレンスクを占領している。 南方軍集団は9月16日に、中央軍集団から南進したグデーリアン指揮下の第二装甲集団とともにキエフ包囲環を完成させ、66万5000名を捕虜とした。 その後10月2日に装甲師団14個に自動車化歩兵師団8個を投入してモスクワを攻撃するタイフーン作戦が発動された。 だが6日から泥寧期が訪れて未舗装の道路は泥沼と化し、進撃は停滞した。 11月には、路面が凍結したため進みやすくなったが、気温の低下と降雪で冬季装備が不足している、ドイツ兵には凍傷患者が続出した。 画像は、ソビエトBT-7快速戦車です。image=190415207.jpg
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