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1942(昭和17)年6月28日、「ブラウ(青)作戦」を発動した南方軍集団は、ドン川沿いを制圧するB軍集団と、カフカス地方の油田地帯を攻撃するA軍集団に分かれて進撃を開始した。
9月14日に南から第4装甲軍が到着し、スターリングラードの西方で待機していた第6軍ともに市街への突入を開始した。
戦闘は、爆撃と火災で瓦礫の山と化した建物を巧みに使ったソ連軍の激しい抵抗で、部屋の一つを奪いあう凄惨な市街戦であった。 この頃スターリングラードを攻撃する第6軍を先端とする突出部が形成されていたが、その側面はハンガリー・イタリア・ルーマニア軍といった弱体な枢軸軍が守備していた。
この状況をソ連軍が見逃すわけはなく、第6軍の包囲殲滅を狙った「ウラノス作戦」が開始された。
そして11月19日に北方のルーマニア第3軍、翌20日にルーマニア第4への攻撃が行われ、11月23日に包囲環が完成して、第6軍と第4装甲軍の一部は適中に孤立した。
第6軍パウルス将軍は包囲陣からの脱出を願ったが、ヒトラーは死守を命じ、必要な補給物資を空輸する事となった。
だが、第6軍の1日の補給必要量は600㌧に対して、1日の平均空輸量は100㌧に過ぎなかった。
また12月12日に開始された救援作戦も包囲陣まで48㎞に到達したものの、ソ連軍の圧力で24日に中止された。そしてパウルス将軍は1943年1月31日、その残存部隊も2月2日に降伏した。
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