ポーランド侵攻

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1939(昭和14)年9月1日、北ドイツと東プロセインに北方軍集団、南ドイツとスロバキアに南方軍集団を配置したドイツ軍はポーランド侵攻作戦を開始した。 作戦に参加した戦車部隊は装甲師団7個と機械化師団4個で戦車数は3251両。 この他歩兵を乗車編成とした自動車化師団も4個も投入されたが、これは当時保有していたすべての機械化師団であった。 なお、ポーランド軍は2個機甲旅団と1個騎兵旅団を保有し、戦車・装甲車合計の保有数は600両であった。 北ドイツから出撃した第4軍は、グーデリアン大将率いる第19軍団を先鋒として、東方へ、東プロセインの第3軍は南方に進出した。 南ドイツから出撃した第8軍は工業都市ウージへ、7個の機械化師団が配置された第10軍は首都ワルシャワへ向かい、スロバキアの第14軍はさらに東方のブレスト・リトフスクを目指した。 ドイツ軍は、9日に首都ワルシャワに到達し、17日にはブレスト・リトフスク要塞を占領して、以後包囲したポーランド軍部隊を次々と撃滅していった。 だがポーランド軍も果敢に抵抗し、9日にワルシャワへ突入した第4装甲師団の120両を3時間で57両撃破するなど、27日のワルシャワ陥落までにドイツ軍戦車236両を破壊している。 また17日にはソ連軍が、ポーランドの分割占領を定めた独ソ不可侵条約秘密協定に基づいてポーランド東部に侵攻し、ブレスト・リトフスク以東の地域はソ連領となった。 ドイツ戦車部隊の進撃。 ポーランド戦には、Ⅰ号戦車1445両・Ⅱ号戦車1223両・35(t)戦車196両・38(t)78両・Ⅲ号戦車98両・Ⅳ号戦車211両の計3251両が投入された。 しかし、前面装甲25㎜以下の35(t)・38(t)戦車、及び少数のⅢ号・Ⅳ号戦車以外は14、5㎜以下と装甲が薄く、ポーランド軍の装備する37㎜砲や対戦車銃によって簡単に貫通されてしまった。 そのためⅠ号戦車89両・Ⅱ号戦車83両・35(t)7両・38(t)7両・Ⅲ号戦車26両・Ⅳ号戦車19両が全損車輌となっている。だか機関銃2挺を装備するⅠ号戦車以外の主砲は、同様に装甲の薄いポーランド軍装甲車輌に対し、充分な威力をもっていた。 画像はポーランド軍Tks豆戦車です。image=187260588.jpg
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