第三次ハリコフ攻防戦

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スターリングラード攻防戦で、ドイツB軍集団の主力第6軍が壊滅した。 これを好機と判断したソ連軍は、カフカスからの撤退を開始していたドイツA軍集団の退路を遮断して包囲がするべくアゾフ海沿岸への進撃を開始した。 進撃は順調で、ソ連軍の目論見は成功するかにみえたが、この時突然のスターリンの決定で、戦力の大半がハリコフ奪回に向けられることになり、A軍集団は辛くも脱出することに成功する。 ソ連軍の急進撃に慌てたヒトラーは、ハリコフ死守の命令を下した。 だが南方軍集団の司令官のマンシュタインは、この命令を事実上無視し、一方でハリコフ防衛をしていたSS第2装甲軍団長パウル・ハウサーSS中将もこれに同調し、ハリコフからの撤退した。 SS第2装甲軍団の撤退で、マンシュタインは第9軍を中核とする予備兵力を集めることができたのである。 1943年2月16日、ソ連軍はハリコフを奪回したが、マンシュタインはソ連軍の戦線が伸びきり、攻勢限界点に達していることを見抜いていた。 そこで19日にドイツ軍はソ連軍の側面に反撃を加えて、戦車旅団25個を含む52個もの旅団または師団を壊滅させた。 さらに3月15日SS第2装甲軍団と48装甲軍団により共同攻撃が行われ、ハリコフはドイツ軍の手中に戻った。 こうして第三次ハリコフ攻防戦はドイツ軍の大勝利で幕を閉じたのである。 雪中を進むドイツ戦車 は先頭からティガー・Ⅳ号戦車・Ⅲ号戦車などの隊列を組んだ、ティガーは通常独立した重戦車大隊に配備されて戦車師団のⅣ号戦車などの援護に使用された。 画像はティガーⅥ号戦車です。image=194669340.jpg
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