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第三次ハリコフ攻防戦とソ連軍の反攻作戦により、オリョールとクルスク周辺部には巨大な突出部が残された。
ここを南北から狭撃する作戦が、7月5日された「ツィタデレ(城塞)作戦」である。
ドイツ軍はこの作戦に東部戦線の全兵力の七割を動員し、さらにⅤ号戦車パンター・フェルディナント重駆逐戦車などの新兵器を投入された、最終的な参加兵力は、兵員90万人・戦車および自走砲3155輌・航空機1800機に及んだ。
一方ソ連軍は、ドイツ軍の作戦を早期に察知し、クルスク一帯に大規模なパックフロント(対戦車陣地)を構築。
ここに兵員127万人・戦車および自走砲3275輌・火砲2万門・航空機2600機を配置、要塞化してドイツ軍を待ち構えていた。
北部戦区は中央軍集団が担当し、攻撃の主体は第9軍、南部戦区は南部軍集団が担当して第4装甲軍とケンプフ軍支隊が攻撃の主力となった。
また第9軍には五個装甲装甲師団と一個擲弾兵師団およびフェルディナント重駆逐戦車89輌を装備した第656重駆逐戦車連隊が、第4装甲軍には二個装甲師団と四個擲弾兵師団およびパンターD型192輌を装備する第10装甲旅団が配備された。 なお、ケンプフ軍支隊には三個装甲師団が配備された。
だが攻撃は地雷原と対戦車砲と戦車を組み合わせたソ連軍の縦深防御陣地により、多大な損害を出し、ドイツ軍の戦果は突出部約196㎞の内側で第9軍が南に16㎞、第4戦車軍が北に40㎞進出したにすぎなかった。
そして作戦の終了は連合軍のシチリア島上陸作戦により、恐慌をきたしたヒトラーの命令で15日に作戦は中止された。
Ⅳ号戦車対T-34中戦車
このクルスクの戦いでは、ティガーやパンターといった強力な戦車が投入されたことで知られるが、急遽投入されたパンターは初期トラブルが続発して、ほとんど役に立たなかった、ティガーは目覚ましい戦いを繰り広げたものの、その数は少なすぎた。
結局のところドイツ軍を支えたのはⅣ号戦車だった。
本車輌は旧式化しながらもなおドイツ軍戦車部隊の主力として働き続け、兵達からは「軍馬」と呼ばれ親しまれた。
画像はT-34中戦車です。
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