ノルマンディーの戦い

2/2
前へ
/53ページ
次へ
1944年6月6日、連合軍は「オーバーロード(大君主)作戦」によってノルマンディーに侵攻した。 ちなみにノルマンディーとはフランスの地方名であり、上陸海岸の名前はカルバドス海岸という。 また、1944年6月6日を指してDーDAYと呼ばれることもあるが、これは本来、上陸作戦決行日のことを表す用語である。 6月6日、上陸部隊は西から順にアメリカ軍担当の「ユタ」(第4歩兵師団)・「オマハ」(第1歩兵師団)、イギリス軍担当の「ゴールド」(第50歩兵師団)・「ジュノー」(カナダ第3歩兵師団)・「ソード」(第3歩兵師団)の五つの管区に分けられた。 上陸海岸へのドイツ軍の反撃を妨害するためにイギリス第6空挺師団・アメリカ第82空挺師団・第101空挺師団が先行して夜間降下している。 なお、ノルマンディー付近に位置していたドイツ装甲部隊は、カーン周辺の第21装甲師団、ファレーズ周辺のSS第12装甲師団ヒトラーユーゲント、アランリン周辺の装甲教導師団、およびSS第101重戦車大隊である。 このなかで上陸当日、橋頭堡を築きつつある上陸部隊に対して反撃を行なったのは、海岸にもっとも近かった第21装甲師団のみであった。 第21装甲師団隸下の第192装甲擲弾兵連隊第1大隊は「ジュノー」と「ソード」の間隙を突進し午後8時頃に海岸に到達している。 しかし、第22戦車連隊は、イギリス軍の進出線にぶつかってしまい、海岸に到達することはできなかった。 一方ドイツ空軍はその地域に160機しか作戦機が無く、海岸上空まで進出できたのは、2機のFw-190が一航過して銃撃しただけであった。 画像は、初の航空機でFw-190です、それまでの液冷エンジンのMe-109系統とは別に空冷エンジンの戦闘機・戦闘爆撃機としてドイツ空軍が採用したのがFw-190でした。 天才クルト・タンク博士の設計で後のドイツ空軍実用レシプロ戦闘機としては最高傑作になるTH-152に繋がります。image=195325168.jpg
/53ページ

最初のコメントを投稿しよう!

188人が本棚に入れています
本棚に追加