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補給港アントワープの占領を目標とした、ドイツ軍による「ラインの守り作戦」は制空権を握る連合軍機が活動しにくい天候不順な時期に開始することを前提条件とし、連合軍の配備が薄いアルデンヌで攻勢を開始した。 1944年12月16日の作戦開始時の攻勢正面の戦力はドイツ軍が20万名で戦車・突撃砲600輌、連合軍が8万3000名で戦車242輌・駆逐戦車182輌となっており、ドイツ軍の戦力が勝っていたのである。 また、連合軍が12月27日に開始した反撃で、攻勢にドイツ軍の突出部(バルジ)を攻撃したことから「バルジの戦い」とも呼ばれる。
攻勢に投入されたのは第7軍・第5装甲軍・SS第6装甲軍の三個軍で、装甲部隊は装甲師団八個と擲弾兵師団三個。
パイパー戦闘団に配備された戦車は、パンターとⅣ号戦車各35輌、SS第501重戦車ティガーⅡ重戦車20輌であった。
作戦は当初、攻勢を予期していなかった連合軍部隊の混乱と予定通りの天候不順が続いた事から順調に進んだ。
先鋒としてミューズ河に向かったパイパー戦闘団は、19日ストゥモンの攻略を試みたが、アメリカ軍が増援部隊を投入したことと、補給の途絶のために、24日に車輌などすべての重装備を放棄して退却した。また、20日に包囲したバストーニュも26日に解放され、翌日から始まった連合軍の反撃で、翌45年1月27日に作戦は中止された。 ドイツ軍の攻勢はわずかしか続かなかった。
画像は、アメリカ軍のM4A3E2ジャンボです、この戦車はM4シャーマンの突破力の不足を補うために特に装甲強化を主眼に開発された。
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