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1945年に行われたドイツ軍の「春の目覚め作戦」はハンガリー戦線での主導権を取り返すのと、油田の確保にブダペストの奪回を目的としていた。
攻撃の主役はSS第6装甲軍で第2装甲軍と第6軍がこれを支援することになった。
装甲部隊は、装甲師団十個と擲弾兵師団一個およびハンガリー第2戦車師団で戦車数は約600輌。
作戦はまずSS第6装甲軍と第6軍が、バラトン湖北側から攻撃してソ連軍第26軍と第27軍を分断、バラトン湖南岸の第2装甲軍が南側に展開するソ連軍第57軍を攻撃し、合流した後にドナウ川西岸からソ連軍を掃討するという計画であった。
しかし、ソ連軍は事前に攻勢の可能性を察知しており、ウィーンへの攻勢を準備しつつ攻勢予想地点に火砲約5000門を集めて防御陣地を構築していた。
作戦は3月6日から開始されたが、SS第6装甲軍戦闘地域は雪解け水によって泥寧と化しており、戦車部隊はその機動性を十分に発揮できなかった。
それでもSS第6装甲軍は侵攻を続け、幅50㎞縦深30㎞を突破した。
だが、南側を担当する第2装甲軍の攻撃はほとんど進展しなかった。
そして3月15日、これまで温存されていたソ連第4・第9親衛軍の戦車部隊による反撃が開始された。
包囲の危険性感じたSS第6装甲軍は、後退を始めざるをえなかった。
作戦は失敗に終わったのである。
画像は、ハンガリー軍のM40Ⅰトゥラーン中戦車です。
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