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昭和7年(1932)の満州國成立以来、未確定だった国境線をめぐる紛争が大規模衝突へと発展したのが、昭和14年に勃発したノモンハン事件である。
ノモンハン事件は、5月初めから末までの第一次・六月~七月の第二次・八月の第三次に分けらているが、日本軍戦車部隊参加したのは第二次ノモンハン事件である。
第二次ノモンハン事件に参加した日本軍戦車隊は、戦車第三連隊および戦車第四連隊で、装備戦車は八九式中戦車と九七式中戦車・九五式軽戦車・九四式軽装甲車であった。
これに対してソ連軍の戦車隊はBT-5およびBT-7戦車が主力として、歩兵支援用のT-26軽戦車なども投入していた。
ソ連軍の45㎜砲は、射距離500㍍で35㎜の装甲板を貫通でき、前面装甲最大17㎜の八九式中戦車、25㎜の九七式中戦車、12㎜の九五式軽戦車と全ての日本軍戦車の装甲を容易に貫徹することができた。
しかしBT-5も傾斜装甲を採用しているとはいえ主要部の装甲は13㎜、最も厚い操縦士前面ハッチの垂直面で20㎜である。
九五式軽戦車の37㎜戦車砲でも約500㍍の射距離で貫通が可能であり、3輌一組で単一目標に対して集中射撃を行なう戦法を行なっていた戦車第四連隊では、最大1500㍍でBTを撃破することに成功している。
つまり、ノモンハンでの日本戦車とソ連戦車の戦闘は、ほぼ互角だったと言っても過言ではないだろう。
九五式軽戦車対BT-7
九五式軽戦車は戦車第四連隊に35輌が装備されていた。
そしてBT-7を装備するソ連軍戦車旅団と戦闘を行なったが、ほぼ対等に戦うことができた。
画像は、T-26軽戦車です。
12000輌も造られた隠れたベストセラーです、終戦後の満州侵攻まで使われた。
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