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1940(昭和14)年5月10日、西方攻勢を開始したドイツ軍は2439両の戦車を装備した装甲師団10個と自動車化師団6個を投入した。
装甲師団7個と自動車化歩兵師団3が配備されたA軍集団は、ベルギー南部からルクセンブルグにかけて広がるアルデンヌの森林地帯を突破して英仏海峡に到達して、ベルギー北部の連合軍主力を孤立させることが主任務だった。
そしてベルギー・オランダを攻略し同時に連合軍主力をベルギー北部に誘導して、A軍集団を援護することを主任務とするB軍集団には、装甲師団3個と自動車化歩兵師団2個が配属された。
微弱な抵抗を排除して森林地帯を抜けたA軍集団は5月12日にムース川に到達、翌13日には橋頭堡を確保し22日には先遣隊が英仏海峡に到達した。
これに対し、ベルギーのディール川沿いに防衛線を敷いていたフランス軍とベルギー軍・イギリス大陸派遣軍は、17日にド・ゴール指揮下のフランス第4機甲師団が20日にはアラス近郊でイギリス戦車部隊が反撃を行なった。
アラス戦では重装甲のマチルダ歩兵戦車が第七装甲師団の戦車や対戦車砲の砲弾を跳ね返して、一部の部隊を敗走させたが、88㎜高射砲の水平射撃で撃破されて反撃は失敗した。
これにより、パリ方面への退路を断たれた英仏軍はダンケルクに後退した。
そして5月27日から6月4日までの撤退作戦で33万8226名が英本土に撤退している。
なお装甲師団はダンケルク手前20㎞に迫ったが、ヒトラーの命令で25日に進撃を停止、28日にベルギーが降伏して6月22日にはビィシー政府と休戦協定が結ばれた。
フランスB1bis重戦車VSドイツⅢ号戦車
5月15日のフラビィヨンの戦車戦に参加したのは、フランス軍が第37戦車大隊のB1bis戦車56両などの170両、ドイツ軍が第5装甲師団第31戦車連隊のⅢ号とⅣ号30両とⅠ号・Ⅱ号戦車90両であった。 B1bis戦車は火力・装甲ともにドイツ戦車を圧倒していたが、履帯を破壊されて立ち往生したところを、無線を活用したドイツ戦車隊の連携攻撃で各個撃破された。
また後退したドイツ戦車を追撃すると、戦車部隊と連携した野砲や高射砲の待ち伏せをうけて至近距離からの射撃で破壊されている。
そのうえガス欠によって次々と放棄され、結局フランス戦車隊は134両を失った。
画像はフランス軍重戦車B1bisです。
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