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「ほら!急いで!!次はG局のスタジオだからさ、ここから遠いんだから!」
マネージャーの秋吉は焦っていた。
神経質そうな顔に眼鏡を掛けていた。細身の身体に冴えないスーツを着ている。汗っかきなのか、タオルを片手に汗を拭きながら忙しそうに身の回りのものを片付けていた。
その傍らに青年が座っていた。
「聞いてるのか?!少しは焦ろよ!」
声と同時に掛けていた眼鏡を落としてしまった。
「あーぁ、まったく……」
落とした眼鏡を拾い掛け直しながら、青年に向き直った。
声を掛けた青年 = 陸斗は俳優だった。
衣装から私服に着替え終っていたが、忙しそうに動き回る秋吉とは対照的に鏡の前の椅子にぼーっと座って右手親指の爪を噛んでいる。
Gパンに杢グレーのパーカーの羽織り、ジッパーを途中まで下げパーカーを被っていた。
「陸斗!」
「あっ、ごめん……」
陸斗は指を口元から外した。
二人はテレビ局の楽屋に居た。
売り出し中の陸斗はバラエティーにドラマに奮闘していた。過密スケジュールだったが、まだまだ若手の陸斗が撮影に遅れて先輩方を待たせるわけにはいかない。
秋吉は溜息をついた。
「そこでプロデューサーの武内さん見かけたから、挨拶してくる。済ませたらすぐに行くよ」
「分かった……」
返事をして被っていたフードを脱いだ。癖の無い髪を掻き揚げた手に触れたピアスが左耳で揺れている。
「ここんとこ変だよ。今日だって……」
「うん……分かってる。疲れてるだけだよ、言い訳にならないけど」
秋吉は腕組みをして、鏡越しに俯く陸斗を見ていた。
陸斗は考えていた。
たしかに疲れていたのかもしれない。そう、あの《音》のせいで。
不定期に聞こえて来る《音》それは耳鳴りとは違うものだった。
不思議な音に自分以外の人に、どういう感じなのか表現出来ない。
だから我慢するしかなく、ここ何日か眠れない夜を過ごしていた。
「ふう…」
秋吉は椅子に膝を抱え座っている陸斗を見ながら、また大きな溜息をついた。
自分のバックを肩に掛けると、楽屋の扉のドアノブに手をかけた。
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