第十九章

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優しく丁寧に髪を結われ、最後にカチャッとバレッタの付いた音がする。メイクはほとんどしていないけど、ほの赤いリップを引かれる。 鏡越しの自分を見てああ、姫野美沙姫だ、なんて思う。寮の部屋とは違う鏡に写る光景にふっと目を伏せた。 ここにいるあたしは"普通"じゃない。 「準備が出来ましたので風間様をお呼びしてもよろしいでしょうか?」 美「ええ、お願い」 口調なんていつの間に変わっていたのかさえ分からない。風間と話した時から、目が覚めた時から?染み付いた感覚は心地よさを感じることなく、段々と浸透しているのを実感するだけだった。 深くお辞儀をした2人に変わり扉の横に立った風間は、上品なカラスの様にツヤのある真っ黒な髪を少しも乱すことなく首を傾ける。 風「今日は駄々をこねなかったのですね」 この確信犯。 つん、と窓のほうへ顔を向けたままの美沙姫に手を差し出す風間。普段ならはねのけた所だけど余計なことをして期間が延びては元も子もない。今日は素直にエスコートされてあげる。 風「明瞭な判断ですね」 美「お祖父様は」 風「先ほど戻られたようです。休憩を取り次第直接広間へ」 長すぎる廊下は住んでた頃も今も嫌気がさす。方向音痴には酷い仕打ちだ。いや、そもそもこうやって風間が毎回連れて行くから方向音痴に気づいていなかったのかもしれない。 どの窓から外を伺っても広大な庭と無駄に荘厳な噴水、ドス黒い雲の広がる空は月すら見えない。 門限はとっくに過ぎている。学園はどうなっているのだろう。あんな出て行き方をしてみんな気にしてないかな。佐渡凛には反省文を書かされるのかな。 お嬢様、控えめな声色にハッとして視線を前に戻すとどうやら広間へ着いていたようだ。繊細な金具が付いた木製の扉へ風間が手をかけていた。 俯いても耳横から垂れてこない髪では顔を隠すことさえ出来ない。ハーフアップじゃなくして貰えば良かった。 ふうと、息を漏らしたあたしに少しだけ視線を寄越した風間はさっきよりも眉を吊り上げている様に見えた。 分かってる。お祖父様の前ではため息なんてしないから。 しんとした部屋に祖父の姿はなく、長い机の先にある椅子へ腰掛ける。風間の椅子を引くタイミングは完璧でムカついた。
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