〓うちの状況→自力治療への覚悟と決意

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 軽ーく、鬱病とわかるまでの経緯を。  前章に書いた通り(憧れの)葬儀屋に入ったものの、  直上の先輩は1ヶ月の新人の上、半月体調不良で休んでいた――奴に教わる。 決まり台詞が 「どうしよったっけ」  何でも一番の女子の上司(その上は先程の人物)は妊婦で体が弱く休みがち。  一週間顔見ませんでしたよ……。  彼女等は本当に基本の基本しか教えてくれず。在庫管理一番大事って事も、消耗品管理も一切言わず。  と、いうより私のみ  放置プレー  なのによ  その事で常識知らず、自分で気づけとか。高校生じゃないんだから…と。  じゃあ、さあ。  1日無駄になるけど、集中的に指導したらどうなん?! 放置プレーされて、後日間違いだらけの直上だった(この人もイブに妊娠発覚)指導うけて、自己流、間違いだらけの私を怒っても困る。  オマケに後に入ったひとは一番の上司も安定期に入って彼女が教えて、後輩に教えられる羽目。  オマケによく気づく奥さんの上に世渡り上手。  彼女が旦那に止めさせられて以降も比較比較。  2007.1月ぐらいから集中力が落ちた。  今ならだいぶん見える視野も狭くなってた。  気づくモノが見えない。  視力でなく注意力である(しつこく) ■2007.2.1  途中早退(風邪名目)  知ってる心療内科(今と違うよん)に行くも  そこを紹介してくれた内科にいく。 〓オマケ  内科のセンセー  今でも人柄とかあたしは好きよ。  が。  両親に不評。  一度もかかってない母はわかる‼  おーやじ、  貴様がいい先生言うたんぞ‼  それが、数年後に貶しまくりとは何事か⁉💢  な、内科に5月まで❤
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