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その茶屋の娘が嫁に行くという。
赤ん坊の頃から見てきた地蔵は嬉しくも淋しい気持ちになった。
相手は家柄も良いようで、佳代は綺麗な着物を来て籠に乗せられ峠を下りて行った。
佳代が嫁いでどれくらい経っただろうか…
妙な噂話が聞こえてきた。
「あの茶屋のお佳代ちゃん、旦那に殺されたらしいよ! 旦那は何だか酒乱だそうで、飲んだら暴力奮って手がつけられなかったんだって」
「毎晩、殴る蹴ると酷かったみたいだねぇ。揚句の果てに殺されちゃってさぁ」
「お佳代ちゃん、まだ若いのにねぇ… お金持ちに貰われたから、よかったねぇって喜んでたのに…」
お佳代ちゃん…?
佳代?
あの佳代ちゃんが?
地蔵は耳を疑った。
何かの間違いだろ…
人違いだろ…
しかしそれは現実だった。
数日後、骨壷に入った佳代が茶屋に帰ってきたのだ。
あの佳代ちゃんが…
地蔵は涙があれば流したかった。
声があれば叫びたかった。
しかし、そんな日も遠くから地蔵を参りに人が来る。
「どうか婚礼がうまく行きますように」
「どうか家内の病気が良くなりますように」
やめてくれ!
今日は何も聞きたくない!
今日は何も耳に入らないんだ!
それよりこの気持ち
この私の気持ちを誰か
誰か聞いてくれ!
その夜、大雨になった。
雨に打たれながら地蔵は
地蔵で在り続けることを拒絶した。
地蔵の眉間にヒビが入り
それは見る見るうちに全体に拡がった。
やがて地蔵は粉々に砕け落ち
砂利の山だけが残った。
それから
この峠を訪れる人も、めっきり少なくなり茶屋も店を畳んだ。
そこに
地蔵と茶屋があった面影は
今はもうない。
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