酒屋見習い

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ビールの酔いで熟睡したせいか、早めに目が覚めた。 朝食を済ませてから叔父と家を出た。 店までは、歩いて5分ほどだった。 前掛けと帽子、釣り銭の入ったカバンを渡される。 僕は帽子を目深に被った。もちろん人の視線を極力避けるためだ。 奥さんは家事を終えてから店に来るらしい。 奥さんが来ると、叔父とバンに乗り、御用聞き(注文取り)に廻った。 午前中に、御用聞きに廻り、空き瓶の回収もやる。 店に帰ってから、注文を納品伝票に書く。 午後からは、御用聞き分と電話での注文を、伝票を見ながら車に積み込み配達に出る。 配達から帰ると、電話注文の配達。 手があくと、空き瓶の整理。 これが毎日繰り返されるわけだ。 仕事に慣れてくると1人で御用聞きに出るようになった。 ただ、当時は原付免許しか持っていなかったので、空き瓶の回収が出来ずに効率が悪かった。 午後からは叔父と2人で配達に出た。 対人恐怖はどうだったかと言うと、相変わらず症状はありました。 とにかく一生懸命だったので、多少は症状のことを忘れることもあったように思います。 苦労人の叔父はとても厳しい人で、よく怒鳴られていました。 そのこともあり、朝8時から夜7時までヘトヘトになるまで働きました。 ある日の夕食の時に小学校低学年の叔父の娘が、僕の前で奥さんに「大輔兄ちゃんは何でいつも笑ってるの?」 僕は凍りついた。 子供だから仕方ないけど、それを聞かれるのが、何よりも辛い! 奥さんは、軽い感じで「聞いてみな」 ヒイイイ~! 聞くの!ホントに! 僕の頭脳は二人に納得してもらう答えを導き出すべく、フル回転した。 残念ながら、答えは出なかった。 諦めて、無の境地に達した。 神の御加護か、娘はアニメに夢中で僕は難を逃れた。 やっぱり、みんな思ってるんだな、子供だからストレートに来たけど、大人だって思ってる。 悲しみの中での夕食でした。 東京に来て、3ヶ月がすぎました。 無我夢中でやってきて、仕事もほぼ把握した頃でした。 仕事に慣れ、緊張も薄れたのが引き金になったのか、症状が強く出始めました。 御用聞きに行っても配達に行っても、お客さんと接するのがとても苦痛になっていました。
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