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麗葉が掴みかかるのを寸でのところでかわし、高経は慌てて御簾の外に飛び出た。
天狗の群衆から一際大きな歓声が上がる。
まさか舞台の裏側で高経が幼馴染みの少女にさらりと求婚し、さらにその直後に怒らせるという早技をやってのけているとは誰も思わないだろう。
新たな頭首を出迎えてくれた群衆に「いや、どーもどーも」と頭を下げながら、高経は舞台へと進んだ。
舞台の中央、高遠と武久の横に並び立つ。
途端に先ほどまで騒がしかった群衆はしんと静まり返った。
眼前には老若男女、数多の天狗達が興奮冷めやらぬ様子でひしめいていた。
その熱気と自分に向けられた期待がひしひしと伝わって来て、高経は身震いした。
ちらりと先ほどまで居た岩屋の入口を見やると、腕を組んだ麗葉がいつもの調子で威圧的に高経を睨みつけていた。
こりゃ後が怖いなと思いながらも、思わず笑みが零れる。
守りたいと、改めて思った。
天の邪鬼で心配性なあの少女を、目の前に居るこの人々を。
何ものにも代えがたい、守るべきもの、帰るべき場所。
その存在があるからこそ、人は闘うことができるのだ。
時に、その命を賭してでも。
なあ?と記憶にある誰かに語りかける。
それが誰に向けたものか自分でもよく分からず、高経はひそかに首を傾げた。
「高経」
儀式用の装飾された刀剣を掲げた高遠翁が高経の名を呼んだ。
高経は神妙に頷き、翁の元へと一歩進み出る。
それからしばらくして、岩壁に囲われた隠れ里は再び大歓声に包まれた。
天狗達の新たな頭首が誕生した瞬間だ。
その歓声を全身で受けながら、高経は己の過去を思い返す。
人間として生を受け、親に捨てられ、生きる為に大天狗の手を取った。
迷い、逃げだしたくなったことは数え切れぬほどある。
―― だけど。
笑顔で満ちた天狗達の顔を見渡し、高経はにかっと笑った。
――守って行こう。
高経の帰るべき場所はここなのだから――。
【帰るべき場所・完】
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