6196人が本棚に入れています
本棚に追加
「僕が行かなきゃコンサートは始まらないよ。お客さんが待ってるんだ」
「何言ってるんだ?」
「皆、仕事とか色んな事を犠牲にして来てくれているんだ。外国からだって来てるかもしれない。休めないよ」
まるでプロットがあるかのようにセリフがぽんぽん出てくる。
「それに僕が行かない事で指揮者やオーケストラ、マネジメント、何十人何百人の人に迷惑をかける。僕がここにいてできる事なんて何もないよ」
「ジム、無茶だよ。君は……」
「ルド、ジムをパリに連れて行ってちょうだい」
母が僕を凝視しながら言った。
「この子は連れて行かないと、一人で歩いてでも行くから」
ルドはしばらく黙っていたけれど、車の鍵をズボンのポケットの中でチャリンと鳴らした。
「そうですね。レンタカーしておいて良かった」
そして僕の髪をくしゃくしゃと大きな手の平で触ったかと思うと、そのまま僕を抱き寄せる。
「飛ばすけどフラフラにならないように気をつけるんだぞ」
彼があまりにきつく抱きしめるものだから、僕は息が詰まりそうになった。
車でホテルの外に出ると、カメラのフラッシュが一斉に光った。
夜なのに昼よりも眩く、辺り一体が白い。
白昼夢の色ってこういうのだろうか……。
警備員が車が通れるようにマスコミを追い払うけど、それでも窓ガラスをどんどんと叩いてマイクを向けてくる人が後を断たない。
その上に数台の車が僕達を追ってくる。
どこのマスコミも僕のコメントを欲しがっているのだ。
でもそんな事は知らない。
僕はかなり荒っぽい運転の車に揺られながら、いつからかずっと頭の中に鳴り続けている、バッハの音符たちと戯れていた。
最初のコメントを投稿しよう!