8.父の死

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エンジントラブルから飛行が困難だと判断した父は、雪山への不時着を試みたらしい。 墜落した飛行機は雪がクッションになって原型を留めていたらしく、それが幸いして、生存者の確認数は時間ごとに増えていった。 それでも死者は100人近くいる。 パリの空港でマスコミに囲まれた隙間から、「人殺し!」という罵声が聞こえた。 でも僕の心は氷のように反応しない。 「君の演奏を聴くために飛行機に乗って事故に遭った人もいるんだよ」 マイクを向けられた記者からそう言われたけれど、そういった言葉も膜を被っているように聞こえて僕の心には届かない。 ホールの入り口で警備員に遮られてマスコミは僕の前から消えた。 事故現場を深夜に出発し、早朝の飛行機でパリに飛んだ僕の体は疲れきっているはずなのに、眠気すら感じない。 ルドはそんな僕に微量の睡眠薬を飲ませ、自分も飲むと楽屋のソファに横になった。 そして、 「俺は寝る。君も寝ろ」 と最小限の言葉だけ言ってそのまま寝入ってしまった。 僕も薬が効いたのかそのまま眠りに落ちた。 ゲネプロは厳戒態勢で行われた。 指揮者やオーケストラ、ホールの支配人まで出てきて僕に弔意を示してくれた。 サン・サーンスの『ヴァイオリン協奏曲第3番』。 陰鬱なロ短調の響きをストラド”女王”は、G線を震わせてまるで地の底から湧くような音で表現した。 激しいその音に、吐き気をもよおすほどの振動を感じる。 そして数小節まで進んだところで、僕は異世界の音を聴いた。 ”女王”がこの世のものとは思えない美しい音……、僕がこれまでに聴いた事のない美しい音を出したのだ。 完全な美が人間を嗤った。 僕はその音のうねりに眩暈を感じ、体中に無数の針を刺されたような感覚を覚えた。 僕はひざから崩れ落ちるように気を失った。
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