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何度かお湯を運んで、僕とルドはようやく産みの棲家への入室を許された。
そこはもう既に、出産が行われていたなんて信じられないくらいきれいに整頓されていたけれど、でも部屋に漂う匂いは野生そのものだった。
僕は数年前に母の出産にも立ち会っているけれど、その時は消毒液の匂いが際立っていた。
でも今回は違う。
そう、父の遺体の運ばれていた場所の匂いに似ていた。
僕はドアの近くに佇んだまま、後片付けをするケンやそれを手伝おうとするルドを見ていた。
突然フラッシュバックが起こった。
あの地獄絵図の記憶が頭の中で爆発した。
血が肉がうめき声が僕に迫ってくる。
思わず叫びそうになった時、ケンが僕に生まれたばかりの赤ちゃんを差し出した。
「抱いてほしいんだとよ」
赤ちゃんはするりとケンの腕から僕の胸に入ってきた。
古代の偶像のような丸い顔をしてすやすや眠る赤ちゃん。
少しふやけた肌と生臭い匂いが胎内を思わせる。
「ああ」
僕は思わず赤ちゃんに頬を寄せてその匂いを思いきり嗅いだ。
「ああ」
心がぎゅっとしなったような気がした途端、僕の目からとめどなく涙が溢れ出た。
「ああ」
命だ。
これが命なのだ。
僕の心の中で生と死が結びついた。
赤ちゃんの匂いを嗅ぎながらその肌を見、そして触れた。
この部屋の血の匂いと父の居た場所の血の匂いと……。
胎内から出てきたばかりの赤ちゃんと、これから死にゆく人たちと……。
何かしら得体のしれない大きなものを感じた。
心の中から湧き出てくる感情が毛穴から噴き出し、僕の皮膚を破りそうだ。
僕はその波の大きさに動けなくなって、その場に立ち尽くしたまま、赤ちゃんを抱いたまま、声が出ないままに号泣した。
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