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ルドは僕のコンサートスケジュールをそのままキャンセルせずに残しておいてくれていた。
その中で、丁度2ヶ月先に予定されていたアメリカ国内リサイタルツアーの曲目を、バッハ無伴奏に変えて僕のコンサート復帰とする事にした。
無伴奏6曲のうち、何を弾こうか迷ったけれど、結局は『ソナタ第二番』とシャコンヌ擁する『パルティータ第二番』の2曲にした。
リサイタルにしては時間的に短かすぎるのだけど、体力的に2時間フルに演奏するのは無理だと、ドクターストップがかかってしまったから仕方がない。
いや、本当はこの2曲でさえも無理だと言われたのだけど、それは僕が譲らなかった。
そして病院もドクターの制止を振り切って退院してしまった。
確かに家に戻ると執拗なマスコミや世間の目があるので療養なんてできないだろう。
でも病院にいるとヴァイオリンの練習が思うようにできないのだ。
今でも相変わらず『シャコンヌ』を弾くと吐いてしまう。
だから僕の体重は目に見えて減ってきている。
そんな僕の姿に母は医者として、そして何よりも母として僕の復帰を猛反対した。
「あなたまで奪われてしまう」
そう涙した母に返す言葉もなかったけれど、今の僕は母の息子である前にヴァイオリニストでありたかった。
今、この状態だからこそできる演奏を、形にしたかったのだ。
最終的に母は、旧知の看護師を僕に付き添わせることを条件に渋々復帰を認めた。
マスコミでも僕の復帰は大きく報じられて、その影響でか、チケットは発売と同時に完売した。
父親の事故のショックで、ヴァイオリンを弾けなくなった神童の奇跡のカムバック。
世間ではある事ない事繋ぎ合わせて、どんどんドラマが膨れ上がってきているようだ。
そういった喧騒をよそに、僕は家の中に閉じこもって、ただバッハと、そしてバッハの向こう側にある何かと対峙していた。
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