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ツアー最終地のNYリンカーンセンターは、他のどの街よりも異様な盛り上がりを見せていた。
アメリカだけではなくヨーロッパなどからもチケットの購入があったようで、ホールの外は、途中でリタイヤして出てくる客を期待して、キャンセル待ちをしている人で溢れかえっていた。
その上、薬屋や病院のチラシ配りのアルバイトがうろうろしていたり、ブラッキンのネーム入りの嘔吐用袋が出店で売られたりして、さすがNYはたくましい街だとルドは感心していた。
僕自身は、このコンサートツアーで睡眠薬無しで眠れるようになったものの、スープと点滴が主食だという状態には変わりない。
燕尾服さえ重く感じられるので、シャツに蝶ネクタイといういでたちで、また通常の照明も体力を消耗するために、ステージは明るさを極限まで抑えた。
こんな状態でも僕は聴衆から熱狂的な歓声と拍手で迎えられた。
バッハは僕を恍惚へと誘う。
弾いていると重力から解き放たれてまるで宙を浮いているような感覚になる。
目の奥にまばゆい世界が見える。
もうこのままあちらの世界に行ってしまいたい。
シャコンヌの中間部、ニ長調。
安らぎから、織りもののように音の重なる神々しい世界へ。
「Re」の音が神を表現する。
父がいる。
飛行機事故で亡くなった人々の顔が見える。僕もそっちに……。
お父さん……。
でもニ短調のスケールが僕を呼び戻した。
そして“女王”はもう一度同じ音を奏でる。
冒頭と同じメロディを。
最後の主音Dは激しいボウイングノイズと共に鳴らされ、僕はこの世に戻ってきた。
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