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しかし、私の母親は、そんな私をその当時は「情けない子」と思っていた。私の腹痛は神経性からの痛みだと、誰しもが疑わなかったからか、私が「痛い」というだけでかなり不機嫌になった。「また神経からでしょ!アンタいいかげんにしなさいよ!!」と、怒鳴られる。
私はひたすら夜明けを待った。結局その日は眠ることができなかった。外が少し明るくなってきたころ、私は父親の部屋に行き、「どこでもいいから、病院に連れてって」と頼んだ。様子がいつもとおかしいことに気がついてくれた父親は、朝一番に病院に連れて行ってくれた。母親もついてきた。そして私が診てもらっている間、両親は「あの子の神経性腸炎はなおらへんな…」と話していた。完璧に怒っている…。
結局その日の診断結果は「便秘」だった。こんなに痛いのに、そんなもんで片付けられてはたまらない!
しかし、それで両親は納得してしまっているので私は様子をみてみるしか選択肢はなかった。
しかし、時間がたつにつれ痛みは増し、8月20日の深夜には私は吐き気と腹痛を繰り返すようになった。
もう痛すぎで立つことも難しかった。
心配した父親が、夜間病院につれていってくれた。もう明日が待てない状態だった。
夜間病院の先生は「おなかの張り方が異常なので、明日大きな病院へ行くように」とすすめてくれた。その日は痛み止めをもらって、私は久しぶりにゆっくり眠れた。
翌朝8時に私は地元の総合病院へ行った。もう立って歩くのも難しくなった私は、車椅子で9時から各検査室をまわされた。午前中はほとんど検査だった。
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