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1938年
昭和13年
ヨーロッパでは、ドイツの再軍備とスペイン内戦を対岸の火事と看ていた、イギリス・フランスは、ドイツのラインラント進駐で、ドイツが領土的野心を持って要ることに気付いたが、ソ連によるヨーロッパの赤化を恐れ、ドイツをソ連の防波堤に使用と考えた。
イギリス・フランスはドイツに対し、融和政策を取りドイツの行動を黙認しながら、ソ連の動きに警戒していた。
イギリス・フランスはその老瑰政治手腕を持って、ドイツとソ連の早期の共倒れを狙ったものだった。
しかし、ドイツ・ソ連ともまだその力は無く、悪戯に時間を与える結果と成った。
1938年ドイツはオーストリアを併合またポーランドのズデーデン地方まで、手を伸ばすがイギリス・フランスの動きは鈍いものだった。
この時期イギリス・フランスは、実戦体験したドイツの軍備に恐れを抱き、自国の軍備強化の時間が必要になってしまったのだ。
イギリス・フランスのドイツ融和政策はここに瓦解した。
日本では、ヨーロッパで紛争あるいは、戦争が起きる懸念が有ると考え、軍備の強化を急ぐことに成った。
この事は、アメリカを刺激する結果と成った。
アメリカは、ヨーロッパでのドイツの台頭はヨーロッパの安定を揺るがすものと警戒していた矢先に、日本の軍備強化は前年結んだ、日独防共協定に有ると考えたからだ。
アメリカは、中国を巨大な市場と考えおり、中国を不況脱出鍵と狙っていたが、日本による将介石国民党への援助と、石油商品の輸出はこの鍵を奪う行為と捉えていた。
アメリカは在日大使館から次々に入る最新情報によって、日本の国力の増大に懸念を示していた。
アジアの極東ある小国が、アメリカ及びヨーロッパの植民地を奪い、また太平洋を我もの顔で席巻することは、白人として許せる行為でなかったのである。アメリカの日本対する不信感は増大擦るばかりで、日本を如何にして叩くことが出来るかと、アメリカはチャンスを窺っていた。
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