戦火

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宣戦布告をした、イギリス・フランスの動きと言えば。 イギリスは何等軍事的行動を行っていない。イギリス首相チェンバレンは、ソ連の侵攻は想定外でありドイツへの直接介入はソ連を利するだけと、及び腰の判断とドイツ・ソ連二国を相手にするには、イギリスだけでは荷が重すぎると逃げ腰の判断を下したからだ。 フランスは穴だらけのマジノ線に軍を張り付けたまま、動こうとせずにいた。 フランスはマジノ線に多額の予算を注ぎ込んだため、軍の装備は前大戦とほとんど変わっておらず、ドイツへの直接介入は出来ない状態にあった。 要するに、ポーランドとポーランド国民は見捨てられたのだ。 世界諸国はイギリス・フランスの行動を看て「奇妙な戦争」と揶愉した。 アメリカは介入したくても、モンロー主義に因る大陸不介入で介入出来ず、軍事行動のない戦争では戦争特儒起きず、不況脱出のあてが外れていた。 ドイツはイギリス・フランスの介入が無く、ソ連との不何侵条約因り、イギリス・フランスとの戦争準備に十分な時間を得ることができた。 ドイツをもっとも安心為せたのは、アメリカの介入が無いことだったで有ろう。 ドイツが唯一ポーランド侵攻で失ったものは、アメリカからの直接石油輸入だが、これは内戦の終わったスペインフランコ政権を通して、輸入ができた。 結局ドイツは何も失うものはなかったのである。 日本では、新型小銃を開発していた。 この小銃の原型は先のシベリア出兵の際にロシアから盧獲したものである。 この小銃は九九式小銃と、呼ばれる名銃になる。 日本では、ソ連とドイツが不何侵条約を結んだことに戦慄覚えた。ソ連は西への膨張止め東に矛先を向けることになるからだ。 日本と満州国は先ず、フォード工場に戦車生産ライン作って製造を始めた。 新京を初め各地の飛行場の拡張して、それぞれに新型機を配備した飛行師団を配置した。更に舞鶴には、第一航空艦隊を北海道には陸海軍の中型爆撃機・重爆撃機配備の飛行隊を配置して、訓練を始めた。 新設した機動飛行場設営隊を満州と北海道に配置して、ソ連側からの攻撃に備えた。 国内の陸軍には満州へ移動準備令をだし、ソ連軍の国境集結に備えさせた。
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