戦火

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ドイツ軍はイギリス・フランス軍を三方から包囲し、徐じょにその包囲網を狭めていった。 イギリス・フランス軍はついに、ダンケルク周辺部に押し込まれもはや、ドーバーに追い落とされるのも時間の問題と成ってあたが、ドイツ軍も進撃の速さに補給が追い付かず、攻勢の一時中断を余儀なくされた。 この間にイギリスはダンケルクに海上に浮かぶ物総てを動員して、イギリス軍およそ20万人フランス軍およそ14万人を撤退することに成功した。 この後フランスはドイツに降伏した。 ヨーロッパでドイツと戦うことが出来るのは、イギリスだけと成ってしまった。 アメリカはなんとかヨーロッパの戦いに参戦しようとしたが、議会反対為たために参戦出来ずにいた。 しかし、イギリス一国ではドイツに反攻叶わず、アメリカは参戦出来ない代わりに、イギリスに対し武器貸与法を議会に承諾させて、大量の武器弾薬そして義勇軍をイギリスに送り込んだ。 イギリスでは、チェンバレンからチャーチルに首相が変わっており、チャーチルはドイツに対し徹底交戦を国民に呼び架けていた。 7月満州、満州里の国境付近で、砲声が轟いた。 ついに、ソ連が牙をむいたのだ。 ソ連の攻撃は、黒河・虎頭の三方から攻撃を開始した。 満州日本合同軍はやっと来たかと思う半面遂に来たかと思う、複雑気持ちでこの日を迎えていた。 満州里の砲撃は4時間にも及び、他の二ヶ所が2時間と短かったため、満州里を主攻他の二ヶ所は助攻或いは陽動と判断し、主隊を満州里に向けた。 ソ連軍はBT7を先頭にハルハ川を渡河。 空では、I15・I16が領空に侵入してきたが、電探よりソ連機を補足していた。 電探からの知らせで満州里にある、基地から飛行第二師団第二連隊64機が迎撃向かった。九七式戦は最早旧式に成る戦闘機ではあるが、これが初陣である。責めてのたむけとして、この連隊預かる飛行隊長板橋は九七式戦の花道飾って遣りたいと考えていた。 電探を看ている飛行長の指示で、やや北に進路を取るとほぼ同高度にソ連空軍機発見した。 板橋はFM無線を通じて短く攻撃開始を告げると同時スロットルレバーを全開にした。 何度体験しても、この加速感には驚かされる、この戦闘機を旧式に戦闘機とはどんなヤツなのか、一瞬考えたが頭の中から振り払った。 目の前の戦闘に集中するために。
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