影の主

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「吉野家の牛丼の方がおいしいわね」 「そう、ですか?」  私は丼を床に叩きつけた。 「味が濃すぎるわよ、脳卒中にでもする気?」 「すみません……」 「私はこんな日も当たらない所にいるのよ、もう少し気をきかせてよね、あんたの仕事は私の世話でしょ」  彼女は黙って下を向いた。持っていた箸も置いてしまった。 「ごめんなさい……」  彼女は顔をあげた。 「あなたに当たっても仕方ないよね」 「……いいんですよ」  ひろみさんだけだもんね、ここにいて私に気を遣ってくれるのは。 「……ね、おでこの傷はいいの?」 「絆創膏で大丈夫」  よかった。  私は一回置いた丼を手に持った。  ここに来てから、半月くらい経つ。  世間は、まだ異常に気付かないのかな。私は黙って仕事を休むような事は一度もしなかった。 「アロマポットです、あとライター、キャンドル……」 「……ありがと」  ……ここで、一生終わるのかな……。 「安積さん、半月も行方不明なら、事務所で黙ってませんよ、せめてご家族に連絡くらいは……」 「……そうね、義理の両親には連絡したかもね」 「え?」 「私、養女なの。本当は言っちゃいけないんだけど」  彼女は少し、不思議そうな顔をした。  まぁ、そんな事言われたら、誰だってびっくりするだろうな。 「中学の時、遠縁の安積の家に引き取られたの」 「亡くなられたんですか? ご両親」 「母親は、生きてる。父親は……」  私の中に、とても言葉では言い表せない感情が込み上げてきた。 「父親はいない、始めから」  そう、私にお父さんはいない。  安積の家の人は、そう意地悪だった訳でも、かと言って優しかった訳でもなかった。  何よりも、『あの女の子供』という、口には出さなくても敬遠する雰囲気が痛いほど突き刺さってきた。  あの人達は表面では、少なくても私の前では、そんな事にこだわらない態度でいてくれたけど、私はここにいるべき人間ではないと、子供心に感じ取っていた。私は居候のようなものだった。  せめてお小遣くらいは稼ごうと、モデルのバイト始めて……。私って割としっかりしてるじゃない、なんて割り切ってた。  でも東京に出たいって、言えなかった。この人達と離れるのが寂しかった訳じゃない、故郷に愛着があった訳でもない……。
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