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女はアーノルドを殺すために、バスケットの中から果物ナイフを取り出した。
いつもと同じように、山に入ってきた人間を殺す。
自分をこの山へ追いやった、憎き人間を──。
しかし、女はアーノルドの心臓を狙い、その胸の上にナイフを突き立てることはできても、刺すことはできなかった。
なぜか、躊躇してしまったのだ。
「おかしな人……。私を見ても怯えず、あんなにまっすぐな瞳で」
それは、女が魔女になってしまってから、初めて向き合った男だったのかもしれない。
恋人に裏切られ、この山へと追い込まれ、挙げ句の果てに殺されたあの日から──。
誰も信じないと、その胸に誓い、男女問わず、この山に踏み入る者を殺してきたというのに──。
なぜ、アーノルドだけは殺せないのか?
いや、殺せないはずがない。
女は目をつぶり、ナイフを振り上げた。
その時、
「私はこの山に死ににきた。君に殺されるならば、私は喜んで死のう──」
眠っているはずのアーノルドの心の内が、その女に見えてしまった。
魔女特有の読心術。彼女は男の心が読めてしまった。
女は嘆き、叫んだ。二度と踏み入れられたくはない部分に、アーノルドが入ってきたような気がしたからだ。
今更、人間を信じてどうする?
今まで人を恨み、憎しみとして蘇った者が、人を殺さずして存在し得るはずがない。
女はナイフを落とした。拾おうとするが、手が震えて拾うことができなかった。
「本当に、おかしな人だわ。私までおかしくなってしまったみたい」
女の涙が、目の前のアーノルドに滴り落ちる。
アーノルドは目を覚ました。それでも女は泣き続けた。
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