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早朝からの物々しい空気が漂う寺院の中にあって、
この牢獄の中にだけはいつもと違い静謐な時間が流れていた。
腐れ落ちた腕と叫びを上げ転がる男。
禍々しいその様相に間違いなくこれは物の怪の仕業であろうと、
寺院の全僧を集結して夕刻から始められた祈祷が夜を徹して今も大広間で執り行われている。
遠くより地を這う如く響く読経の声を耳朶に捉え、少年は安堵に身を浸していた。
あれが耳に届いている限り、今宵は何者もここを訪れはしない。
あまつさえここは忌まわしき怪異の起こった当の部屋である。
祈祷の議など有らずとも、進んで渦中のこの場へ足を運ぶなどという愚かしい者など居はしない。
今宵は何者もここを訪れはしないのだ…朝方の惨事に恐怖せぬ者以外は――。
するり
不意に、衣擦れの音が前触れなく微かに響いた。
同時に、先刻までは薄明かり以外何も存在しなかった部屋の中に確かに何かの気配が漂い始める。
するり
音が一歩、また一歩、もどかしい速度でしかし確実にこちらへと近付いてくる。
衣擦れの音が届くたび、布団の中の頼りない痩身は静かに満ちてくる恐怖にびくりと躰を強張らせていた。
何が、近付いてくるのだろうか 。
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