Ⅱ. 孤独な狼

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『先に行ってて』  いつまでも耳に残る母親の声。冷たい空気に凍えながら、暖かい息で手を温めながら母親を待つ。遠くに聞こえるざわめきはとうに消えており、天を彩る星々は白闇に紛れ、辺りは朝霧と共にその風景を映し出し始めていた。  今までずっと母親と一緒だった。離れることなど考えられなかった。彼は信じていた、きっと母親が戻ってくると。  岩陰に座りながらじっとしていると、やがて乾いた大地を進む足音が聞こえてきた。彼は立ち上がった、母親が戻ってきたのかと思ったのだ。  だが瞳に映るのは灰色の影。全てが視野に入りきらない程の巨大な影が目の前に迫ってきていた。見上げれば灰色の瞳が彼を睨んでおり、鋭い牙が生えた大きな口が上下に開いた。 「誰か待ってるのかい、ぼうず」  現れたのは狼。しかも並みの大きさではない。象のように巨躯な、それはもはや狼と呼べるものではないのかもしれない。相手は子供だと思ったのか、はたまた逃がすことなど有り得ないと心の中で歓喜の声を上げたか、無用心にも彼の目の前に現れてにやけながら唸った。相手が言葉を理解するはずもないのに。  当の彼は足音の主が母親ではなかったショックで、大きく落胆した。溜め息をつき、見上げていた顔がうつむく。そもそも狼など見たこともない彼が狼の大きさの違いなど分かるはずもなく、またその大きさに驚くことよりも母親のことで頭がいっぱいだった。 「うん……母さんを待ってるんだ」  狼のことなど、正直どうでもよかった。相手が何を考えているのかも、これから何をしようとしているのかも。  だが狼は驚いて目を見開いた。今から食べようとしていた獲物が自分にたじろぐことなく答えを返したのだ。 「お前、俺の言葉がわかんのか?」  確かめるように再度彼に尋ねる狼。彼は面倒臭そうに、何故そのようなことを聞くのか分からないといった顔で狼を見上げた。 「わかるよ、普通に喋ってるじゃない」  彼はさも当たり前と言わんばかりに溜め息をつく。やはり普通に会話ができている。狼は目の前にいる生き物を獲物と認識するのをやめ、頭の天辺から足先までをマジマジと見つめた。白い髪に灰色の肌、よく見れば人間とも思えない容姿をしている。
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