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「だから、お前の母ちゃんはお前を逃がすために代わりに捕まったんだよ」
「嘘だ! 後から来るって言ったもん!」
「だけど来ないんだろ? それが証拠じゃねえか」
彼の両拳がワナワナと震えている。狼の言葉を信じてはいけない。母親は絶対に来る、疑ってはいけなかった。
だが狼の言葉は的を得ているだけに反論し辛い。だが認めてはいけない。嘘だ、全部ウソだ――。
「うるさいっ!」
とうとう我慢できなくなり、彼は叫んだ。彼の瞳が深紅に燃え上がり狼の姿を捉える。
「うおっ!?」
巨大な狼の体が宙を舞った。空に弧を描く狼は背中から地面に打ち付けられ、何が起こったのかもわからずに痛みに顔を歪めて悶える。目の前にいたはずの子供が今や遠くで立ち尽くしている。
「ぐっ…違うのは見た目だけじゃねえってことか…」
「ご、ごめんなさい、大丈夫?」
彼は狼に駆け寄った。先日の公園の光景が目に浮かぶ。恐怖に怯える子どもたち、腕の折れた少年。それを思い出し不安になる彼だが、狼の眼は恐怖にも怒りにも染まっておらず、少年と話していた時と変わらない光を宿していた。
「気にすんな、これくらいなんともねえよ」
そう言いつつも、狼の足はふらついていた。
「まぁ、気が済むまでそこにいるんだな。俺は行くぜ……」
不安そうに見つめる彼をしり目に、狼はそのまま立ち去っていった。しばらく呆然と狼の背中を見つめる彼だったが、その後ろ姿が見えなくなると彼は再び岩の陰に座り込んで、母親を待った。
彼はじっと耐えた。寒さに凍えながら、眠気に耐えながら母親を待った。きっともうすぐ戻ってくる、そう信じながらも頭には狼の言葉が過ぎる。
――お前の母ちゃんは、お前の代わりに捕まったんだよ。
「そんなの、嘘だ……」
力なく呟く。自信がなくなったわけではなく、ただ単純に体力を浪費していたせいだ。
気づけば太陽が高く昇っていた。
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