3603人が本棚に入れています
本棚に追加
「か、母さん? あれは何? 何て言ってるの?」
彼は何が起こっているのか理解できずに混乱する。だが母親はそれ以上に狼狽し、彼の言葉は届かない。
必死に母親にすがろうとする彼に、母親の心の声が飛び込んできた。
『そんな、まさか……異端者審問だなんて……これでは魔女狩り……あぁ、神よ……何故私たちにこうも試練を課せられるのですか……』
母親の心から届くのは恐怖の気持ちと『魔女狩り』、『異端者審問』という言葉。この様な状況で教会に出頭せよと言うのだ。十中八九、異端者審問だろう。
この信仰に厚い町で行われる異端者審問、それは神に背く異端の者であると自白させるための審問会。自分が異端ではないと主張すれば自白するまで拷問を受け、異端であると受け入れれば死刑。だが八歳になったばかりの彼にその言葉の意味などわかるはずもない。
この状況を理解できるのは母親だけ。そして彼は感じ取った、母親の顔つきが恐怖から決意に、心の声と一緒に変わるのを。
「こっちへきて!」
彼女は彼の手を取り、藍色のボロボロのローブを着せてフードをすっぽりとかぶせた。状況を全く理解できない彼の手を引いて家の裏側にある出口から誰にも見つからないように山へと入っていった。
葉の枯れ落ちた木々の間を歩く。振り向けば家の前でたくさんの明かりが灯され、司祭の話も終わったのか再び群集が悪魔だ魔女だと叫び始めていた。
彼らは山を登り続け、山の中腹に入ったところで岩の陰に隠れるように母親が彼を座らせた。
「いい? ここからずっと北に向かいなさい。お母さんは後で遅れて行くから、一人で行くのよ!」
困惑する彼を母親は強い眼差しで見つめ、そして抱きしめた。
「あなたは私の希望よ。いつかあなたの優しさを理解してくれる人が現れるわ。愛してる……」
そう言って彼女は彼の額にキスをして立ち上がった。彼は未だに理解できない。自分一人で行く? お母さんはどこへ? 何が起こってるの?
整理できない頭に更に飛び込んでくる母親の心の声。ごめんなさい、ごめんなさいと何度も繰り返していた。
最初のコメントを投稿しよう!