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確か、2月中頃のどんよりとした曇空で北風の強い月曜日。
その日は昼シフトだったので、12時半頃に当時住んでいた小阪のマンションを自転車で出て、勝山町のコンビニに立ち寄り朝食を買ってから、八坂公園側のマンションの3階にある事務所に出勤しました。
しかし、インターホンを何回鳴らしても応答がありません。
(店長は、珍しく遅刻なのかな?)と思い、携帯に何回かかけましたが、留守電にすらなりませんでした。
その場で、20分程待つものの、とにかく寒いばかりなので、歩いて5分程の大街道商店街にあるロッテリアにてコーヒでもを飲みながら、連絡を待つことにしました。
「デリヘル嬢」これが、当時の私の職業でした。
某地方国立大卒という学歴までありながら、お恥ずかしい話ですが、借金返済のためというご多分に漏れない理由からやむなく始めたものです。
そもそもの原因は、「リプレーハズシ」
スロットをある程度わかっている方なら、誰でもご存知でしょうが、私が大学の三回生だった頃に、普及され始めた合法的な攻略法です。ちょっとしたテクニックとコツを掴めば、理論上はスロットでコインを増やす確率が100%を超えるというものです。
松山市内というより愛媛県では、ほとんどのお店が、コイン購入時も、コインを現金に交換する際も、等価交換だったので、理論値どおりに当たりを引ければお金を増やすことができました。
実際に、私自身も仕送りやアルバイト代に全く手を付けず、半年ぐらい生活したこともあったくらいです。
しかし、こんな状況が長く続く訳がありません。
もう少し後になりますが、お店もスロット業者も対策を立て、だんだんと理論的にも勝てる算段が立たなくなる頃には、金銭感覚のマヒとスロットを打つこと無しではいられない自分だけが残ったのです。
さて、大学卒業と同時に松山市内の某デパートに就職しました。
地元でも無いのに、なぜ松山にしたかというと、当時付き合っていた彼氏と離れたくないのも確かにありましたが、ただ松山に住み続けたい、というのが本音だった気がします。
おかしな話ですが、あの頃は地元の人達たちが、なぜかすごく幸せそうに見え、去ることでなんか自分が退け者にされるような気がして、嫌だったのです。
でも、やっぱり最後まで、自分は他所者というあの感じは無くなりませんでしたが。
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