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イマヌエル=カントという18世紀の哲学者は、その著者『純粋理性批判』で、時空について非常に興味深い考えを述べている。
その内容を、かなり要約すれば、「時間と空間というのは、我々に備わっている直観の形式に過ず、我々は時間と空間という枠組みの中でしか、何事も認識できない。」ということである。
つまり、少々乱暴だが、時間や空間は、我々の感性が生み出した観念、つまり意識の産物に過ぎず、我々を超えてある普遍的なものではない、ということであろう。
そうであるなら、物理法則とは、我々の感性と関わりのある思考形式の具現化、つまり我々自身のものの見方の形式であり、同じく我々の思考の産物である数学と親和性が高いのは、最もなことである。言い換えれば、物理法則とは、我々自身であると言ってもよい。
そうすると、もはや法則がどうして成り立つのか、という問いに対する解答は簡単である。我々の感性に基づく思考が、法則とするところを法則しているからこそ、それは法則として成り立つのである。
また、死ねばどうなるかということもおよそ想像が付く。
死ねば意識がなくなり、感性の直観形式である時間もなくなる。従って、時間の長短・過去未来もなくなる。ならば、一瞬にして、また時間があるところ、つまり生きている状態で、生きていることになるのではないだろうか。
そして、我々の自我が時間的継続性を有するなら、生きている途中の自分に戻されるとは考え難いので、結局は生まれ返ると考えるしかないのであろう。 そう、人生は永劫に回帰するのだ。
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