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俺のスピードは秒速9.38メートル。
早鐘のように鳴り響く、自分の心臓の音が限界の明かし。
乱れる呼吸は気持ちのブレ。
走ることに苦痛を感じるようになったのは何時からだったろう。
栄光と共に、自身に食い込む重圧の鎖が心を蝕む。
自分より0.1早い奴らは、俺より重い鎖に繋がられているのだろうか?
それとも、鎖の重さは個人の弱さに比例するだけか。
そんな重さを忘れてさせてくれる特効薬が目の前を駆け抜ける。
一つ下の君は、いつもがむしゃらに地を駆ける。
0.1秒速くなると、彼女は必ず極上の笑顔と共にやってくる。
その姿は、まるで尻尾を振る仔犬のように愛らしい。
その姿は去来する過去の
思い出。
ただ、走る事が好きだったあの頃の残像。
忘れていた自分を思い出させてくれる栄養元。
記録と言う重さを相殺し、心の天秤を彼女はいともたやすく元に戻す。
あの笑顔は沈んだ心を引き上げる強力無比の特効薬。
常に前を向く彼女に釣り合うには、全国五位は微妙な数字だ。
狙うはベスト3。
それが自分に加した、新しい重荷。
だが、その重荷は別段苦しい重さでは無い。
天秤を調整する心地良い重さだ。
「もう一本行ってみるか!」
そして、俺は再び走り出す。
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