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「きみ、風が苦手だったのか?」
「そうじゃなくてですね……」
僕の体は、ビニール樹脂の肌に包まれたブリキ出来ている。もちろん、その体には心臓なんてものはなくて。
かわりに心臓くらい大切な器官があった。足元の木箱に入っている音盤と呼ばれる小さな丸い鉄板だ。
「潮風が、香ったんです。 僕のようなオルゴールにとって、潮風は命を削る風ですから」
ここの家は低い丘の上に建っていた。丘の麓には小さな森があり、その向こうに海がある。
僕はこの家どころか、部屋からも出たことはなかったけど、窓の外に広がる景色くらいは把握している。
「……そうか、そうだったね。ごめんよ」
主はそれだけ言って窓を閉めた。そのときの表情は逆光に遮られてよく見えなかった。
もしかしたら悲しませてしまったかもしれない。もしそうだったら、と思うと胸がきしんだ。
「ああ、きみが気にすることないよ。そうか、久しぶりに潮風がここまできたってことはきっと、嵐がくるね」
僕のメロディーの乱れを感じたらしく、主は振り返るなり笑った。
気にすることはないと言うことは、やっぱりそんな顔をしていたのだろうか。 「それじゃ、私は朝食に行ってくるよ」
僕は何も言えずに、ただ主が部屋から出ていくのを見送った。
そういえば、主はどんな食事をしているのだろう?
ここは台所と離れている居間だったから匂いもあまり感じられない。
キュ、と音盤がきしんだ。なんだか寂しい気がした。
僕は、もう何年も主と暮らしているのに、主のことを何も知らないでいる。そういえば、主は部屋の外での生活をあまり話さない。僕がいくら質問しても、その度にはぐらかされたり逃げられたりした。
ずるい。
僕には足はあるけれど、動かす機能なんてつけられていない。
逃げられたら引き止めることも追いかけることもできないじゃないか。
僕が動かせるのは、始動のお辞儀と話すための口くらいだった。
ただ、主の暮らしは知らなくても、主が教えてくれたことは全部覚えている。
主が生まれたのは今から二十年前で、主の十五才の誕生日に離れて住んでいるご両親から僕がプレゼントされた。
それから、主には年上の恋人がいた。その人はとても頭が良くて、優しい人だったらしい。
その人は、僕がプレゼントされる前に亡くなってしまったという。主はよく、僕のメロディーを聴かせたかったと寂しそうに言っていた。僕も、少し残念だった。
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