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「六波羅って――」
少しだけしまったと思う。突然話をかけてきたよくわからん野郎に名前を呼び捨てられたのだ。何か思うかもしれん。
六波羅はまるで無反応だった。
呼び捨てぐらい、名前を間違えるのに比べたら大したことじゃない。
名前なんてさして意味を持たない記号だし、敬称の有無なんかそれこそどうでもいい。
六波羅はきっと後者だな、と思いながら呼び捨てへの遠慮を棄てる。
「六波羅ってリアリストだな」
「幽霊を信じないから?」
「それもあるけど、雰囲気と言動から」
六波羅は「そう」と短く言うと、マグカップに口をつけた。
「六波羅の趣味は?」
言ってからスゲー下らない質問な気がした。
六波羅もつまらなそうに一呼吸置くと、
「読書。それか点茶」と応えた。
読書は定番だが、点茶とは。また奥ゆかしい。
「家で抹茶を作るのか」
「抹茶は"点てる"」
そうたしなめ、
「茶器も茶筅も道具は一式家にあるから」と続けた。
茶道を嗜む家。
スゲー家なんじゃねぇかと予想を立てる。案外俺が知ってるここらのでっかい家のどれかが六波羅邸なのかもしれない。
茶道。確か、『人をもてなす際に現れる心の美しさ』を侘び寂びと共に優雅に楽しむもの。
いつか俺が六波羅にもてなされるなんてことにはならないだろうか。淡い期待を抱くが、可能性は薄弱に思えた。
「ここへはよく来るのか?」
六波羅は、「いや」と口にしながら首を振った。
「今までは黄根を利用していた」
黄根町(きね)は我が青葉町(あおば)の隣町。あそこのは図書館と呼ぶには些か小さすぎる。
「黄根か」
「あそこは小さすぎる」
あ、やっぱり。
「今はもうあそこに読みたい本は無いから」
「ここなら蔵書量多いし、読みたい本もあるだろ?」
六波羅は目を伏せて小さく頷いた。
「ここは素敵だわ」
少しだけ目を細めて言う。辺りをくるりと見渡し、満足そうにもう一度頷いた。
それが無表情な六波羅の笑顔なのだと気付いた。俺が見た最初の笑顔。儚く清らかな雑じり気の無い。
瞬きを終えると六波羅はいつもの無表情に戻っていた。
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