第一話

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   くすぶっていた勝負根性が、こういった実にどうでもいい時に燃えたぎるのが俺の性質である。  こうした下らない勝負を重ねて幾星霜、本気を出して負けたことはまだ無い。  俺はこの女を抜き去りぶっちぎって置き去りにすることに決めた。    俺は休まず足を回しながら、思考を巡らす。  俺が本気を出した以上、この戦いにおいてマシンスペックの差は実に些末な事であり、大した意味を持つとは思えないが、兵法において敵を知ることはとても大切である。  俺は睨み付けるようにして、彼女の自転車を注視する。    黒い。シティサイクル、俗に言うママチャリ。車輪の大きさは俺の青戸号と同じ26インチのようだ。  フレームは漆を塗ったかのように黒く光っている。買ったばかりなのか、手入れが行き届いているのか。  む、よく見れば二人乗り用のステップまでついている。女の自転車についてるのは初めて見る。手練れかもしれん。  俺は彼女の実力を未知数とした。    対する俺の青戸号は前述のとおり真紅のママチャリ。フレームやハンドル等の至るところに錆が見られるが、それも含めて真紅と表現しよう。  俺が青戸号に跨がった姿は"赤い彗星のサト"と畏れられている。主に青葉町二丁目界隈で。  俺も若い頃はブイブイいわせたものだ。青戸号の車輪が若干歪んでいるのも、ハンドルがやや左に傾いているのも、カゴがベコベコ凹んでいるのも、全て俺と青戸号の戦いの軌跡。轍とも言うべき証だ。    まぁつまり、今も足元から聞こえるギコギコとした青戸号の呼吸音を聞けば、マシンスペックの差はなんとなく察していただけるだろう。  それでも負けない。俺が本気を出した赤い彗星のサトだからだ。    俺は静かな力をペダルに込める。静かに強く速く。  ガシャガシャいわせるのはナンセンスだ。見た目のダイナミックさこそあるかもしれないが、それは実に非効率的なこぎ方である。  足はペダルと共にあり、それは真円を描くためだけにある。そういう意識のもとでこがなければ、エネルギーを100パーセント伝えることはできない。    青戸号の場合、フレームとペダルとの間が錆び付いている。それ故のギコギコという騒音なのだが、出来る限り音を小さくしてみせる。  
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