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俺は慌てて体勢を立て直し、全力でペダルを回した。くっそったれ、と悪態をつきながらもなんとかして彼女の後ろにつける。
一度開いた差を縮めるのは容易ではない。俺はスタミナを著しく消耗し、今や肩で息をする状況。
彼女はそんな俺を見てまた笑うのだ。
「ついてくるので精一杯?」
ぜぇぜぇとみっともない呼吸を落ち着けて、やっとの思いで応える。
「うるせー!」
彼女は余裕綽々といった様子で後ろを向きながら自転車をこいでいる。
「さっきから私を風避けに使ってズルいよ。男でしょ? 前代わってよ」
可愛らしく頼んでくるが、
「それをさっきお前が妨害したんだろ」
「あ、そっか」
テヘッとでも言うような調子でクスクス笑う。実際「テヘッ」などと言って頭をコツンと叩くようなら、俺はこいつの後輪に青戸号を思い切り追突させていたところだ。
しかし彼女は前に向き直り、すっと腰を上げた。二つのペダルに全体重を預けた体勢。立ちこぎ、つまりダンシングだ。
ここにきてスパートをかける気か!? 虚を衝かれた俺は慌てて筋肉を強張らせる。
スピードを上げるようなら、どこまでも食い付いてやろうと思っていたのに、彼女はいつまでたっても加速しない。変わらぬスピードで前を行く。
そのことに俺は衝撃を受けた。
彼女が行っているのは"もう一つのダンシング"だ。
それは全体重を推進力に変えてスパートをかけるためのものではない。
むしろその逆。ダンシングをすることで、シッティングで使う筋肉とは違う筋肉を使い、疲労を分散、加えて回転数を落として心拍を落ち着ける。すなわち、休むシッティング。
ちょっと自転車が好きな程度の奴の技術じゃない。
俺にとって、本物のサイクリストに出会うのは初めてのことだっだ。
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