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「お前、何者だ?」
この町"青葉"に生まれて十六年と八ヶ月余り、隣町の"黄根"でも"赤華(しゃっか)"でも、ましてやこの町でもこんな女には会ったことがない。
「んー?」
とぼけた顔して含みのある笑みを浮かべた。頭を揺らして鼻歌混じりにダンシングを続ける。そしてクルリと振り返り一言。
「ふつーの乙女だよ?」
はっ。
「そんな立派なふくらはぎした乙女はいません」
この時、俺は自ら引き金を引いた。いや、ペダルのように踏みつけた。それが、地雷だと知らずに。
「……言ったね?」
何故だろう。彼女の背から恐ろしい何かが見える。不動明王とか阿修羅とか、そんな怒れる大きな恐怖。
「私が密かに気にしていることを、君言ったね?」
振り返ったその笑みは黒く、瞳はギラついていた。
「この足が大根みたいに太いってそう言うんだね?」
言ってない。そんなこと言ってない。
「私は怒ったよ」
彼女はそう言うと前に向き直った。それから何かを弄るとニヤリと恐ろしい笑みを浮かべた。
刹那、漆黒の自転車からバキバキガチガチという音が聞こえてくる。
「この音はまさか!」
「ついてこれるかな?」彼女は鬼のような笑顔で言った。
鬼気を宿した彼女の背中は瞬く間に遠くなっていく。ぐんぐんと加速して風を切り裂く姿はまるで弾丸のようだ。
それは彼女が"踏むダンシング"に切り替えたからだけではない。
"ギア"を重くしたのだ。
ギアを変えれば、同じペダルの回転数でも移動距離が変わってくる。
ギアを重くすれば、ペダルが重くなる代わりにエネルギーをより効率的に推進力に変えることができる。少しのこぎでより遠くへ進むことができるわけだ。
まさか内装変速機だったとは、気付かなかった。
さっきのギアを変える音からして、少なく見積もって三段変速。今まで、その一番軽いギアで俺の前を走っていたのか。
恐ろしい女だ。
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