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俺は、今や遠く届かない距離まで離れそうな彼女の背中を今一度見る。遠く小さく見える筈のその背中がいやにでかい。
くっ、なんとかついていきたい。彼女と走れば俺は更なる高みを臨むことができる気がした。彼女への想いは畏怖と尊敬の念に変わりつつあった。
ついていく。あの背中に食らい付いてやるんだ。
俺の青戸号に多段変速機なんてメカニカルな機能が付いている筈もなく、当然のようにシングルギアだ。ギアを変えるなんてできるわけもない。
ということは、俺の選択肢はそう多くない。
こぐか、全力でこぐか。二つに一つ。
そしてこの場面で択一するべき答えは言うまでもない。
俺は重い腰を上げた。打ち付けた尻の痛みは忘れることにして。
今は男の意地と矜持と魂を込めた最速最大最強のダンシングを。
俺はこいだ。それはもう、全力でこいだ。
今となっては俺を風から守る物は無い。青戸号とこの身で風を破る。その風圧の強さでスピードが増していることを実感できる。
そろそろ下半身に疲労を感じ始めてきた。太ももから、ふくらはぎから、足の裏から、筋肉の悲鳴が聞こえる。
春の暖かな日射しが恨めしい程、身体は熱を帯びていた。だが、その熱エネルギーが運動エネルギーに変換されているのかと錯覚を起こす程、スピードは増していった。
心なしか青戸号のコンディションも良い気がする。いつもの整備不良が発する音があまり聞こえないのは、耳を覆う風を切る音のせいだけではないだろう。
そうか。お前も勝ちたいのか。俺は心の中で青戸号に話し掛ける。
青戸号は返事の代わりにまたスピードを上げた。
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