第一話

32/41
前へ
/106ページ
次へ
   彼女との差は少しずつ、だが着実に縮まっている。  彼女のサイクリングを分析するにちょうどいい距離まで近付いた今、気付いたことがある。    彼女の"速さ"を支えるもの。    それは本来なら筋力であったり、体力であったり、ウェイトである。  しかし、これらが彼女に、あの小さな身体にあるだろうか。答えは、否。だが現に彼女は弾丸のようなスピードを手に入れている。    それはすべて、彼女の確かなテクニックに裏付けられているのではないだろうか。  力強く脚を動かす筋力を、絶え間なく足を回す体力を、ペダルに載せるウェイトを、補って余りあるだけのテクニックが彼女にはある。    彼女は体重の重心移動が抜群に巧い。  それ故に、筋力もウェイトも無くとも力強いペダリングが可能になり、少ない体力でも走り続けることが出来るのだ。    更に彼女の後ろ姿を見てその非凡さに気付く。  そもそもダンシングとは、後ろから見るとそのサドルが左右に振り子のように、一定のリズムで動き、踊っているように見えることから、その名がついたと言われている。    彼女のサドルは、決してダンシングしているようには見えない。俺を含めた普通の人のダンシングとは大きく違い、左右の振りが極端に少ないのだ。    サドルを揺らさない、つまり車体を揺らさないでこいでいる。  大したことではないように思えるが、その実これには大きなメリットがある。  普通のダンシングでは車体が左右に揺れるため、自転車は自ずと緩やかなS字を描きながら進むことになる。しかし、彼女のダンシングはその揺れの少なさから限り無く直線に近い軌道を進むことが出来る。つまり、移動距離のロスを削ることが出来るのだ。    しかしデメリットもある。  自転車を揺らさないならば、代わりに身体を揺らさなければ、自転車をこぐことは物理学上不可能なのだ。  是非、自転車を揺らさずに立ちこぎをしてみて欲しい。彼女が如何に人間離れした技を持っているかが解っていただけるだろう。  だから、身体だけを揺らして自転車をこぐなんてのは、甘い理想論であり、夢物語とされるはずのこぎ方なのだ。  しかし、彼女はそれをさも当たり前かのように、難なくこなしている。これも全て彼女の卓越したボディーバランスが成せる技なのだろう。  
/106ページ

最初のコメントを投稿しよう!

30人が本棚に入れています
本棚に追加