第一話

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   そして俺はこの時、飛躍の瞬間を迎えようとしていた。  敬意を持って、彼女の技巧を盗もうと努めたのである。  サドルの揺れないダンシングは無理だ。彼女にしかできない彼女のこぎ方だ。  しかし、重心移動は俺にも出来る。俺のこぎ方に合ったペダリングを、彼女の姿勢、足の角度、タイミングを参考にしながら探していく。    彼女の足の運びを追うようにして、見よう見まねでこいでみた。  するとどうだろう。ぐいっと青戸号が前に出る。踏む力は変わらない。しかし、今までよりずっと楽にペダルを回せている気がする。  まだ彼女の重心移動には程遠いであろうが、しかし確かにその効果を全身で実感することが出来た。  これが、体重を巧く使うということか。  俺は気分を高揚させた。  少しばかりのテクニックを身に付けて、俺はまた速くなることが出来た。  自転車をこぐのをこんなに楽しく感じたのは初めてだった。    気が付けば、彼女の背中がすぐそこにあるではないか。ダンシングを止めてシッティングでこいでみる。  恐らく彼女は俺がここまで差を縮めていることに気が付いていない。当然だ。彼女は速すぎた。一時は勝負が決する程に差が開いたのだ。まさか俺がここまで食らい付くとは思っていまい。  絶好の好機である。    俺は重心移動に意識を傾けつつ、残ったスタミナを全て解放することにした。  少しだけ楽にペダルを踏めるようになったことで、回転数の引き上げも可能になったと気付く。かつてない程に速く足を回した。  前傾姿勢になって空気抵抗を極限まで抑える。  腰から尻の大殿筋、ハムストリング、前大腿筋、ダンシングに使う筋肉という筋肉全てをフル稼働させる。    後にやって来るであろう激しい筋肉痛の事を想いながら、俺は遂に彼女を抜いた。
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