箱の中の出来事

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 アルバイトに採用されたA氏は、雇用者に指示された部屋番号の扉を開けた。  三メートル四方の白い部屋の真ん中で、A氏は何をさせられるのだろうと立ち尽くしていた。    不意に異臭が鼻を突いた。    見ると、指先の皮膚が緑色に変色している。  指をこすりあわせるとぬるぬるした。嗅いでみると、酸っぱいような甘たるいような臭いが、つん、と脳を刺激した。  途端、A氏は、くらくらと酩酊にも似た目眩を覚えた。    更に爪を立ててこすると、皮膚は容易にずるりと剥けて、赤黒く柔らかそうな肉が見えた。  A氏は、自分はこんなぬるぬるして臭いものだったのかと酷く鬱々として泣きたくなった。  鬱々としている間に、指はふやけたように白く膨れ上がり、融けて五本とも無くなってしまった。    手の甲の皮膚は、いつの間にか今にも弾けそうに膨れ、指の落ちた先から緑色の斑紋が網目状に広がっていった。  薄い皮膜のようになった皮膚の下に、青緑の血管が透けて見えている。  皮膚の上下を走る緑の線の交差が奇妙な立体感を持って眼前に差し迫ってくる。  世界が揺らぐような感覚に、A氏の呼吸は速くなった。  前後不覚に陥りそうになり、反対の手で固くこぶしを握り締めた。  そのとたん、湿った音をたてて、手首から先が握ったこぶしごと白い床に落ちた。    A氏は両腕を掲げて見た。緑の斑紋は両肘を越えている。  不意に服を脱ぎたい衝動に駆られたが、片腕は指が無く、もう片腕は手首から先が無い。  脱衣は諦めて、それぞれの腕の断面を見つめた。  皮膚も肉も筋も骨も、すべてがとろけてひとつになり、艶やかにぬめっている。  世界の調和が美しく保たれていることに安堵する。    毛穴から染み入ってくる馥郁たる匂いに陶然となる。    A氏はたちまち満ち足りて、饐えた吐息をぶくりと漏らした。
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