撃攘

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東の空から、12月16日の朝日が昇り始め、幾重もの太陽光が艦隊を出迎える。 そんな様子をミッチャーは艦橋から眺めていた。 手にしたコーヒーカップを口につけ、一口すする。 普段と変わらない味の筈が、胸が悪くなる位に不味く感じた。 理由はわかっている。 昨日1941年12月15日は、合衆国海軍創設以来、最悪の日として歴史に刻まれることだろう。 昼間の航空戦と夜間の水上戦で、12隻いた戦艦は1隻残らず全滅。 キンメル大将、パイ少将の両名も行方不明となっており、以後は指揮を継承したスプルーアンス少将の指揮の下で日本軍の追撃を振り切っている。 空母機動部隊の被害も甚大だった。 今、艦橋から見えるのは、《エンタープライズ》1隻のみ。 昼間の攻撃で《ヨークタウン》《ホーネット》《レキシントン》《レンジャー》が沈没。 さらに夜間後退中に敵潜水艦の待ち伏せを受け、《ワスプ》もまた沈んでいる。 航空機も多数喪失しており、パイロットも多数の戦死者を出している。 この先の部隊再編の事を考えると頭が痛くなる。 少なく見積もっても、太平洋艦隊は向こう1年は大規模行動はとれないだろうとミッチャーは推測していた。 もっとも、生きて無事帰還できればの話だが。
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