壱・散る桜

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    もしかしてこれは物の怪(もののけ)か? あまりの恐ろしさに、その場から逃げ出そうと身を翻(ひるがえ)した瞬時、男の腕が額田の右手首を捉え、即座に彼女を抱きすくめた。 等間隔に刻む心臓の音と肌の温もりは、どうやら生身の人間のようだ。 しかし、当の額田にはそれを実感する余裕などなかった。 助けを求めなくては……。 気持ちは焦るのに声が出ない。 誰か、誰か来て……!! そんな額田の心中を知ってか知らずか、男は弄(もてあそ)ぶかのように唇を彼女の耳元まで這(は)わせ、囁いた。 「桜散る月夜に女人(にょにん)の涙とは、いいものを見せてもらった。感謝いたしますぞ」
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