シャボン玉

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 夏の昼下がり。一人の青年が公園のベンチに座って、携帯ゲーム機で遊んでいた。  彼を遠ざけるようにして配置された錆びた遊具が、子どもたちの粗雑な扱いに今も悲鳴を上げている。 「隣はよろしいかな」  青年の胡散顔で一瞥する先には、壮齢の男が立っていた。青年が何も答えず携帯ゲーム機に視線を戻したのを、男は承諾の意にとって、彼の隣に腰掛けた。男は黒革の鞄から新聞紙を取り出して広げた。空いているベンチなら他にもあるだろうと、青年は再び男に視線を送るが、新聞に遮蔽されたために顔が見えない。代わりに、紙面を走る横文字が彼の視界に入った。  いたずらに時間は流れ、彼らはただ黙って座っていた。時折、男のめくる新聞の音がした。少し離れたところで遊ぶ子どもたちの黄色い声ははるかに遠く、居並ぶ彼らの間に流れる空気は黒ずんでいる。 「おや」  思い出したように声を上げて、男は新聞を閉じた。それをたたんで膝の上に置き、シャボン玉で遊ぶ親子を見つめながら口を開いた。 「ひとつ、またひとつ……」  母親が輪をシャボン液に浸しては吹いて作る虹色の玉を、小さな女の子が追い回して割っている。青年は前かがみになって、ゲーム機の画面に食い入っている。男は誰に言うでもなく話し始めた。 「世界の恵まれない国々では三秒に一人子どもが亡くなります」  国連児童基金の標語には耳を傾けない青年をよそに、男は「ふむ」と小膝を打った。 「膨らみすぎた私欲はああして潰さなければならないのですね」  今度は砂場の子どもたちを見据えて、男は言う。 「平和ですね。どこに行き着くとも知らぬ風船爆弾をたたき落とすより。――建設的で、平和です」  砂の城を手で押し固めて満足げに微笑む男の子の顔に、赤い西日が射した。 「ですけどね」  夕日は突如湧き上がる黒い雲に阻まれる。木々がざわめく。 「そう簡単な話じゃありませんから」  男は空合いを眺めながらつぶやく。青年は辺りが急に暗くなったことに気づくと、ゲーム機の電源を切り、同様に空を仰いだ。その時、青年の頬を一粒の雨が打った。チッと舌打ちをすると、青年は再三男を見やってからベンチを立った。 「どこに行かれるんです。これからなのに」  その一言を合図に豪雨が公園内に降り注いだ。  青年はゲーム機をかばうようにしながら走り去る。  雨に濡れる男の目には、崩れゆく城が映っている。  
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