中盤ノ弐

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「姫様、落ち着いてください」 脇の老紳士が小声でルナティアに話しかける。それはとても微小な声で、チトセでなければ聞こえなかっただろう。 ――なーんかやばくないか? 深紅の青年は、無言で佇む闇姫の姿を前に微かに臨戦体勢を取った。 根拠など何もない。彼の動物的勘と言うべきか、本能と呼ぶべきか。輝くようなその姿に、総毛立つ程の危険を感じていた。 だが一方で、すっかり魅了されている三編みの少年がいた。 ――ただ立ち上がっただけなのに、何て綺麗なんだ。 スラリと高い身長で身のこなしまでもが洗練されており、グレンは目を奪われた。 花よりも華のある笑顔も素敵だったが、キリッとした表情のルナティアもとても凛々しく、神々しくさえある。重い雰囲気も厳格な空気という言葉に置き換わる。 そんな時、それは起こった。 少年は銀月の姫から目が離せなかった。目を離さなかった。動けばわからない筈がなかった。 ――なのに、ルナティアの姿が突然消えた。 同時に、爆発するような衝撃音が傍と背後で響いた。 「姫様!」 老紳士の切迫した声が耳を通り抜ける。 音がした方向に顔を向けるとチトセがおらず、さらに首を背後へ回すと――激しく壁にめり込んだ深紅の青年と、彼の首を掴み片手で持ち上げて押さえ付ける闇姫がいた。 「……え?」 理解が出来なかった。他の者も同様に唖然としている。 何故ルナティアがチトセを持ち上げているのか。何故チトセが壁にめり込んでいるのか。 ――何故体は震えもせず、でも石の様に固まっているのか。 明らかに自分より体格の良いチトセをその細腕で押さえ付ける銀月の姫君に、グレンは愕然としていた。 (…まったく見えなかった) 学院生徒の中でも指折りの動態視力を持つ三編みの少年が、影だけとはいえセツナとチトセの姿を捕えた深緑の双眸が、闇姫の動きがまるで見えなかった。 「…ふむ、どうしたものかのう、オルド」 青年を見上げながら呟く姫に、老紳士が慌てて叫ぶ。 「どうしたものかではありませんぞ姫様!彼らはコーセリアからの使者です!それを姫自ら手にかけるなど――」 「何を言っておる」 「は?」 呆れた様子の国主に、オルドは眉根を寄せた。 「優しく押したとはいえ、妾の攻撃を耐えたこの者をどうしたものかと聞いておるのだ」 ――ッゴホ。 一つ咳をして、青年が言葉を吐いた。 「あー……効いたぁ」
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