柄沢悟と嘘

25/26
11316人が本棚に入れています
本棚に追加
/1346ページ
その時、そっと彼女が俺の手から離れた。 太田が現れたのを確認すると、彼女はゆっくりと座り込み泣き崩れたのだ。 太田は生前より随分と小さくなっていた。 彼は今、この小さな箱で暮らしている。 しかし、彼女との久しい再会でも、太田の"遺骨"は何も言わない。 遠山のすすり泣く声が響き渡る。 変わり果てた昔の恋人をみて本当なら叫びたいはずだ。 なのに彼女は歯を食いしばり、必死に気持ちを堪えていた。 本来ならここには太田の魂が存在するべきなのに、奴は姿を現さない。 その代わり、消滅したはずの奴の体は、こうして遺骨となって存在している。 事実はいつも残酷だ。 ここにあるのは、太田の遺骨だけ。 そんな悲しい現実に我慢できず、俺は彼女に告げた。 「ーーそこにいるぞ」 顔を上げた遠山が、不意に振り返る。 それに釣られるように弟も俺の顔を見た。 俺と同じく現状がわかっている弟はさぞかし驚いただろう。 それでも俺は、彼女に嘘をつく。 「太田はそこにいる。お前の前で、嬉しそうに笑っている」 だが俺の意図に気づいた時、弟は疑問も事実も全て飲み込み、そっと俺から顔を背けた。 あの時、俺に合わせてくれた弟には本当に感謝している。 それにしても、どうしてこの二人の気持ちは、いつもいつも交わらないのだろうか。 「会う資格ないなんて言うなよ。太田の奴、悲しんでいるぞ」 お互いのことを思っているといいながら、結局傷をつけあっていた。 「いいじゃねえか。今日くらい泣いたって」 会わない資格もなければ、泣いてはいけない資格もない。 なぜならこいつらは、死んだ日でないと生き返れないのだから。 矛盾しているとでも言われるだろうか。 しかし、魂は人に思い出された時に蘇る。 少なくとも、俺はそう信じていたいのだ。 ーーやがて、俺の言葉に遠山が嗚咽を漏らして泣き始めた。 零れる涙も拭かずに何度も何度も、太田の名前を呼んでいる。 これだから、俺は太田が嫌いなのだ。 死んでもなお、こうして遠山を泣かせる。 なのになぜ俺は今、彼女に嘘までついて奴の肩を持っているのだろうか。 「行くぞ」 弟を呼び、俺は彼女に背を向けた。 「ありがとう」 その時、確かに俺の耳元で奴が呟いた。 振り返ると影が動いた。 それは弟にも視えていて、大きく目を見開いたままその影を2人で追った。 そこには太田の姿があった。 憎たらしくも、俺が言った通りに遠山の前で嬉しそうに笑っていた。
/1346ページ

最初のコメントを投稿しよう!