七瀬牧穂と子犬のワルツ

7/25

11316人が本棚に入れています
本棚に追加
/1346ページ
子犬は牧穂の腕の中で悲しそうな声をあげた。 まるで、俺がこいつに苦手意識があるのがわかるようにだ。 人間の言葉なんて、犬がわかるはずない。 それなのに、こいつは潤んだ目で俺を見つめる…気がした。 「大丈夫。僕はお前のこと好きだから」 牧穂はそう言って、子犬の頭を撫でた。 その言葉で安心したように、子犬は目を閉じる。 「犬の扱い上手いね…」 普通なら抱っこされたら暴れそうなのに、子犬は牧穂に何の警戒心もなく大人しく撫でられていた。 「昔、犬飼ってたからな」 牧穂はそう言いながら子犬を上に掲げた。それは高い高いによく似ていた。 その眼差しは優しく、高い高いしている彼女はまるで子どもを愛でてあやしている親のようだ。 こう見ると本当に普通の女の子で… 「そうか。お前、オスか」 でも、その言葉で俺は前言撤回しようか迷った。 そんな俺の気持ちなんて知らず、牧穂は落胆の息をついた。 「お前、こんなに可愛いのになー…」 何か訴えるように俺と子犬を交互に見るが、残念ながら根本的に好みが違うのだ。 分かち合いたいのに分かち合えない。 そのもどかしさはよくわかる。 しかし、そんな悲しい顔をされるとなんだか悪いことをしたように思えてきた。 俺は恐る恐る子犬に手を伸ばす。 決してこの子犬のためではない。牧穂を悲しませないためだ。 「大丈夫。怖くない。怖くない…」 まるで風の谷の王女のように俺はつぶやいた。 ただし、これは子犬にではなく自分に言い聞かせている。 「おお…」 その様子を牧穂は目を輝かせながら見ている。 あと5cm。俺の手が震える。 あと1cm。牧穂の期待と俺の心拍数が高まる。 そして、俺の手はこいつの毛先に触れーー 「あん!」 ーー触れる前に子犬は声をあげ、俺の手を噛んだ。 「ぬわー!! 」 俺は断末魔をあげ、思わず手を引っ込めた。 なんとなく予想はしていたが、こいつ本当に俺を噛みやがった。 「あはは。しょうがないよ。まだ子犬だもん。この時期ってどうしても甘噛みするんだ」 笑う牧穂だが、子犬は牧穂に噛みつく素ぶりを見せない。 男女差別かこの野郎… 俺はキッと犬を睨むが、こいつはわかっていないようでさらに怒りがこみあげていた。 それが、こいつとの出会いだった。
/1346ページ

最初のコメントを投稿しよう!

11316人が本棚に入れています
本棚に追加