種岡亮太と群青

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そう思った時にはすでに遅く、悟が拳を振り上げていた。 彼の鬼のような形相に俺は恐怖で指一本も動かすことができなかった。 迫りくる彼の拳にも避けることもできず、ただ呆然と殴られるのを待った。 これはきっと、悟のタブーに触れた戒めなのだ。 「亮太!」 「柄沢君!」 あすなと美波ちゃんの叫びは悲鳴に近いものだった。 殴られる。 そう思った時、臆病な俺は目をつぶった。 その途端、いきなり横から何かにふっ飛ばされた。 驚いて目を開けると、橙色のシルエットが俺の前に立ちはだかった。 その奥では悟が目を大きく見開いている。 けれども彼もとどめることができず、「バキッ!」という鈍い打撃音が部屋に響いた。 その光景にその場にいた誰もが言葉を失った。 突き飛ばされた俺は、そのまま尻餅をついて悟を見上げた。 状況が掴めていない悟はまん丸い目をしたまま、殴った衝撃が残る拳を力なく垂らしていた。 そんな俺と悟の間には統吾が倒れていた。 「高爪君!」 事態を察知した美波ちゃんが、横たわる統吾に駆け寄る。 「だ、大丈夫?」 おどおどと慌てふためきながらも、美波ちゃんは統吾を起こした。 「いってー……」 そう呟きながら、統吾は美波ちゃんに支えながらむくっと起き上がった。 俺の代わりに殴られた頬はもうすでに赤くなっており、唇からは微量の血が流れている。 だが、統吾は美波ちゃんに向けて手を差し出し、「大丈夫」とサインを送った。 「……すぐに手を上げるのは悪い癖だよ、悟」 手で血のついた唇を拭いながら、統吾は彼に悟らせた。 「でも……今のは種岡が悪いかな」 そして、ゆっくり振り向き俺のほうを見る。 呆気に取られている中、隣から誰かのすすり泣く声が聞こえた。 あすなだった。 あすなは両手で顔を覆い隠し、小さな肩を震わせて泣いていた。 こんな空気にしたのは間違いなく俺なのに、頭の中がぐちゃぐちゃになってどうすることもできなかった。 この場にいる人たちの視線がえぐられるほど痛い。 この怖さに居たたまれなくなり、俺は逃げるようにこの部屋を飛び出した。 「亮太!!」 あすなが俺の名前を呼ぶ。だが、俺は「来るな!」と言うのが精いっぱいで、振り向くこともできなかった。
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